麓は近世の薩摩藩が治め整備した集落を意味する。旧薩摩藩の領内には、約120 カ所の麓があったと言われる。薩摩・大隅・日向の三州は16 世紀前半まで島津とその一族や地方豪族との争いが拡がっていた。戦国大名のひとり、島津家16 代当主の島津義久(1533-1611)が、その三州を制圧した後、豊後や肥前に勝利し、九州制圧にのりだしたが、豊臣秀吉の九州征伐に降伏し、多くの武将を引き連れて三州に押し戻された。これが契機となり、地頭を各地に配した外城がつくられ武士を分散して配し、領内各地の中世山城周辺に半士半農・半士半職の武士の集団が駐屯・居住した。この集落が麓で、石垣や生垣、馬場に面して屋敷の並ぶ美しい景観が整備されていった。

麓まち歩きマップ

鹿児島大学鯵坂研究室(2013.4〜2024.3)において、2016 年度鹿児島県地域づくり助成事業の助成により調査研究を行い、その内容を最初の麓まち歩きマップとしてまとめ、その後、2018・2019 年度公益社団法人米盛誠心育英会研究助成事業の「旧さつま藩の麓集落と伝統構法の生産技術に関する研究」の結果を「麓街まち歩きマップ2019」に反映させ刊行しました。その後、コロナ禍となり、積極的なフィールド調査が難しくなりましたが、2020年6月に「麓まち歩きマップ2020」として英文併記の冊子として刊行、それを拡充しこの「麓まち歩きマップ2022」を2022年2月に刊行しました。まち歩きの参考としてご利用下さい。(刊行後時間が経過しており一部実情と異なりますのでご了承下さい)